
2025年夏、プレジデント総合研究所「人事・ダイバーシティの会」のイベントが開催されました。登壇したのは、ダイバーシティ推進のフロントランナーとして知られる元ポーラ社長、及川美紀氏(現一般社団法人ダイアログソサエティ理事)です。
イベントではまず、プレジデントウーマン総研による最新のD&I意識調査データが発表され、多くの企業が直面する「経営層の意識と現場のギャップ」が浮き彫りに。そして、この根深い課題に対し、及川氏が自らの経験に基づいた「経営層の正しい巻き込み方」を語ってくれました。全国から集まった人事・ダイバーシティ担当者約60名が、この「トップダウンの壁」を打ち破るための具体的な戦略に迫りました。
元プレジデントウーマン編集長で、現プレジデントウーマン総合研究所所長・木下明子が「ダイバーシティ&インクルージョン意識調査2025」(現役ビジネスパーソン男女516名対象)の結果を発表。その多くで、D&I推進における男女間の意識のギャップが確認されました。

経営層が本気か?男女で割れる認識
今回のイベントのテーマである、「経営層がD&Iの旗振り役として積極的に発信していると思うか?」に対する回答には男女で大きなギャップが見られ、男性の約3割が「ややそう思う」と回答したのに対し、女性は「そう思わない」と回答。先導役になるべき経営陣が、女性からは消極的に見られているという事実が明らかになりました。

さらに現場に近づくと、ギャップはより顕著になります。まず、「御社の管理職はD&Iを本質的に理解していると思いますか?」という問いに対し、経営層の理解以上にミドル層でのギャップが目立ちました。男性の35%が「そう思う」と回答したのに対し、女性側は「全くそう思わない」「あまりそう思わない」で半数を超えており、現場に近い管理職層の理解不足が深刻な壁となっていることがわかります。

次に、マネジメントと評価についても大きな差が見られました。「昇進前の女性を、男性と同じように昇進前提でマネジメントしているか」という質問では、男性は性差をつけていないと感じる人が多い一方、女性の4割超が「全くそう思わない」「あまりそう思わない」と回答。ライフイベント中の女性の昇進機会については、女性側の「公平ではない」という認識が優勢でした。

そして、「上司の評価は性別関わらず公平に行われているか」という、評価の公平性に関する質問では最も大きなギャップが確認されました。男性は公平だと感じる人が多数派でしたが、女性の約35%が「男性に有利だ」と回答しています。この結果は、評価制度そのものよりも、評価者である上司の行動や意識に「男性優遇バイアス」が強くかかっている可能性を示唆しています。

D&I推進の「壁」はどこにあるのか?
D&Iが進まない理由として、かつては男性側から「女性の意識の低さ」が上位に挙がっていましたが、この男女差は縮小傾向に。現在、最も大きな壁として男女共通で挙げられたのは、「男性中心の企業風土」と「経営者の問題」でした。

この「経営者の問題」こそがD&I推進の要であることを裏付けるデータとして、木下は「経営層が旗振り役になっているか」という設問の回答と「女性管理職比率」のクロス集計のデータを紹介しました。その結果、他の項目に比べ、経営層の理解と女性管理職比率が最も高い相関性を表出。特に、管理職比率が15%以上の企業では、経営者が積極的に旗振り役を担っているという事実が浮き彫りになりました。
木下は、「D&I推進の要となるのは、やはり経営層が本気かどうか。この意識の温度差が会社全体に影響している」と結論づけました。
このデータを受けて及川氏も、「私も社長時代にそうでしたが、やはりトップがダイバーシティを推進するのが一番早い。経営者が決めれば決まるからです。そこが壁になっていると『笛吹けども踊らず』の状態になってしまう。その実態が今回のデータにも顕著に出ている」と、トップダウンの重要性を強く支持しました。
D&Iに関するデータ紹介を受け、ポーラ時代にダイバーシティを牽引した及川美紀氏の講演がスタート。及川氏は、トップの意識こそが最も重要であるとデータ結果に同意し、その上でD&Iを真に推進するための2つの柱を提唱しました。
D&Iの真の目的は「私なんて」の撲滅
講演冒頭で、及川氏は「御社は何のためにダイバーシティを進めていますか?」と問いかけました。
及川氏はこの問いを経営層自身が「自分の言葉で答えられるか」が真の推進のスタートラインであると強調します。D&Iが数値目標やただの流行として語られるのではなく、自社の未来や経営者の信念として根付いているかどうかが重要で、その第一歩は「人権課題への真摯な向き合い」であると語りました。

及川氏が説くD&Iの目的は二つの段階に分けられます。一丁目一番地は人権問題であり、「人間としていかに等しく伸びる機会を与えられているかどうか」が重要であり、ノーハラスメントやワークライフバランスの実現、国籍、性別、障がいの有無などによるバイアスの排除がこれに当たります。
そして、二番地は「私なんて」の撲滅です。日本ではD&I=女性活躍と捉えられがちですが、それは「日本の人権問題で主に虐げられているのが女性だから」という文脈です。本来D&Iが目指すのは、社員一人ひとりが「契約社員だから」「子育て中だから」「病気があるから」「中途入社だから」といった理由で「私なんて」と可能性を諦めてしまうことをなくすことであり、「ダイバーシティの一丁目一番地が人権問題だとしたら、二番地はこの『私なんて』撲滅なんですよ」と及川氏は語ります。
最終的な目的地は「全社員の個性活躍」であり、「女性管理職を増やすことは一つのフェーズ」に過ぎませんと強調。この明確な信念を持つことで、たとえば男性社員から「女性に下駄を履かせている」といった不満が出た際も、「女性が昇進したら『下駄を履かせている』と不満をいう社員を大切にしたいんですか?それとも女性が仕事のライバルに上がってきたら、よし自分も頑張ると切磋琢磨しようとする社員がいいか」と、会社の将来を見据えた視点で切り返すことができると力強く語ります。
経営者を動かす「顧客マーケティング」戦略
それでは、D&Iに危機感がない経営層をどう動かせば良いのか?及川氏は、「経営者を“顧客”と捉えてマーケティングすべき」と提言しました。
人事担当者は、経営者を上司ではなく「顧客」として深く観察し、経営者が関心の高いキーワードや具体的な危機感を特定するべきだといいます。人は危機感がないと本気で動かないため、「このままでは採用ができない」「離職が増える」「新しいアイデアが出ない」といった、経営者が抱える具体的な課題感をD&I推進と結びつけるのが効果的だといいます。
この「経営課題としての危機感」と、前述の「人権問題としての信念」を組み合わせて、感情的にならず、共感を軸に粘り強く説得し続けることが、経営層を本気にさせる唯一の道だと及川氏は強調しました。
及川氏の講演後には、参加者がオンラインと対面でディスカッションを実施。自社のD&I推進の課題をデータと講演内容に照らし合わせ、熱い議論が交わされました。
D&I推進の鍵は、現場の努力や制度の整備だけでなく、「経営層の哲学と危機感」にあることが再確認された本イベント。人事担当者にとっては、D&Iを「人事の課題」から「経営戦略の課題」へと昇華させるための具体的な武器を得る貴重な機会となりました。

※本事例中に記載の肩書きや数値、固有名詞や場所等は取材当時のものです。
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